プロダクョンノート

“人”を描きたい――名匠イ・ジュニクの想い

知識層や富裕層にではなく、あくまで市井の人達に向けて書かれた実用的な海洋生物学書「茲山魚譜」。この偉大な本の執筆者でありながら、これまで歴史的にスポットが当たることのなかった実在の学者・丁若銓に注目したのが、韓国映画界の名匠イ・ジュニクだった。数々の時代劇巨編を作り上げてきたイ監督だが、彼が愛情を込めて細やかに描くのはいつも“人”。特に今回は壮大な歴史が軸となる時代劇とは異なり、激動の時代を自分達なりの方法で生き抜いた“人々の姿”を切り取りたいという強い意志で本作に挑んだ。「政治史や戦争のような通常の時代劇が描く観点ではなく、その中に登場する個人、一人一人にスポットを当てたかった。英雄が出てくる話ではなく素朴な人々の話だが、それゆえ観客の心の深部に何かを残すことを願いたい」と語るイ監督の想いは全編を通して貫かれている。また丁若銓と共に「茲山魚譜」の執筆に尽力する若き青年・昌大を登場させることで、不思議な運命に導かれた師弟関係を新たに構築し、より深みのある人間ドラマへと昇華してみせた。「ある時代に偉大な人物がいたとしても、その人物は一人で存在していたわけではないだろう。その横にはその人物に負けず劣らずの偉大な人物がいたはずだ」(イ監督)

ソル・ギョング×ピョン・ヨハン 名優2人の熱演!

主人公・丁若銓を演じるのは、韓国映画界屈指の実力派俳優ソル・ギョング。イ監督とは『ソウォン/願い』以来のタッグとなるギョングだが、長いキャリアの中で意外にも時代劇は初挑戦。だがこれまでも数々の憑依型の名演を見せてきた彼は、「歴史的、学問的な知識にこだわるよりも、丁若銓という人物になりきりこの時代の世の中を感じることが重要だと思った」と語る。その言葉通りソル・ギョングは実在した丁若銓を完璧に作り込み、島に幽閉された当時の複雑な心境から、次第に島民に心を開き島の生活に順応していく過程、さらに海の生物たちを前に持ち前の好奇心を発揮する姿までの立体的なキャラクターの変化を、繊細に演じ切ることに成功している。

一方、丁若銓と確かな絆で結ばれていくことになる昌大には、4年振りのスクリーン復帰となるピョン・ヨハン。漁夫の昌大を演じるにあたり、専門家の指導のもと魚類のさばき方を完璧にマスター。同時に潜水や水中での手信号も学び、撮影初日には水深5mの水中撮影をスタント無しでやり遂げている。ソル・ギョングが、「この作品は彼のフィルモグラフィーの中で、最も輝くものになるだろう」と自信たっぷりに話すのも納得だ。

水墨画のような秀麗なモノクロ映像

全編モノクロ映像で描かれる本作は、無彩色の美学を強く意識したイ監督のこだわりが詰まっている。監督は「モノクロのいいところは、鮮明性だ。絢爛たるカラーを排除することで、物体や人物が持っている本質的な形態がよりはっきりと伝わる。鮮明なモノクロで朝鮮時代をのぞいてみると、この時代の人物の物語をより近くに感じることができるのです」と話す。このような完成度の高いモノクロ映像を実現するために、スタッフ&キャスト共にたゆまぬ努力があった。「色彩で視線を分散させることができないため、観客が俳優の目や表情、声にいつも以上に集中するだろうと思いました」とピョン・ヨハンが語るように、俳優たちはより繊細な芝居を求められ、観客の作品への没入感を最大限引き上げることに尽力。彼らの衣装も、モノクロ映像ゆえ素材選びにこだわり抜いた。衣装部のトップ、シム・ヒョンソプは「島民たちの衣装はほとんどが麻の素材で作られており、そこに貧しく荒れた生活感を足して彼らの暮らしぶりを表現しています」と説明する。対照的に島に到着したばかりの丁若銓には、同じ麻素材でもソフトで手触りのいい衣装を着用させ、島民たちの差別化を視覚的に分かりやすく示してみせた。

黒山島を3つの島で完全再現

黒山島のロケーション選びは、本作の最も重要なポイントの一つでもあった。実際の黒山島は海岸道路がないことも含め、映画の撮影に適したロケーションとは言い難かったため、都草島、飛禽島、慈恩島などシーンごとに最適なロケ地を探して撮影に臨むことになる。丁若銓が暮らすカゴ宅は、海が一望できる都草島の絶壁の上に藁ぶき屋根の家をロケセットとして設置。漁業を主とする島民たちの生活ぶりが映し出される入江は、慈恩島の海岸で撮影し、活気ある島の様子をリアルに再現している。そして物語後半、昌大が丁若銓の手紙を持って訪れる唐津では、実際の茶山草堂(タサンチャダン)と白蓮寺(ペンニョンサ)での撮影が実現。丁若鏞の息遣いが溶け込んでいる由緒ある建造物は、作品にリアリティと奥深さを与えている。

そしてロケの宿命でもある悪天候との戦い――! なんと本作は撮影中、3回も台風に見舞われた。一番被害をダイレクトに受けたのは、絶壁の上に建てられたカゴ宅のセットだが、台風予報が出る度にスタッフ総出で藁ぶき屋根を結び杭を打って固定する作業を繰り返し、なんとか最後までこの素晴らしいセットを守り切った。